加盟団体一覧

{{organization_0.catch}}
事務局:{{organization_0.address}} {{organization_0.secretariat}} 代表者:{{organization_0.representative}}
TEL:{{organization_0.tel}} FAX:{{organization_0.fax}}
{{organization_0.mail ? "Mail:" + organization_0.mail : ""}}
加盟団体紹介 社名:{{data.company}} HPへ
代表者:{{data.representative}}

■東京都印刷工業組合 中央支部

創 立:大正14年7月
事務局:中央区八丁堀3-17-9 京華スクエア2階
電 話:03-3552-1855
FAX:03-3297-3790
ホームページ:http://chuo-shibu.org
メール:info@chuo-shibu.org

プロフィール
東京都印刷工業組合は、東京都の中小企業の印刷会社を中心とした工業組合で、各地区に22支部があります。そのなかの最大組織で、印刷発祥の地における支部として同じ中央区の日本橋支部とともに常に組合の中心的な存在としての役割をになってきたのが、京橋支部です。
印刷業界は、長引く日本経済の不況下で、IT革命や価格破壊などの渦に巻き込まれるという最悪の厳しい状況におかれていますが、京橋支部は最大の支部として、将来を切りひらくために組合員で太いネットワークを組み、パワーを結集し、個性と感性豊かな新時代の中小企業の旗手たらんと、その道を模索しているところです。

沿革
支部の創立決議をしたのは大正12年(1923年)2月でした(当時は東京印刷同業組合)。ところが同年9月、支部発足を前に関東大震災に遭遇。死者9万1344人、全壊焼失46万4909戸という未曾有の大災害によって、加盟予定業者もまた壊滅的な打撃を受けてしまいました。
そのため同月25日に支部発足の形をとりましたが、実際に第1回京橋支部総会が新富町で開かれたのは、その2年後の大正14年(1925年)7月10日になってしまいました。灰燼の中からよく立ち上がり、支部を立ち上げたのです。京橋支部は、先輩たちの労苦を想い、その日を創立記念日と定めています。

中央区と業界
明治元年、築地明石町に外国人居留地が設けられ、文明開化の波が築地~銀座を中心に広がって、新しい時代が切りひらかれ、人々の生活様式も激変しました。
明治6年、のちに平野造船(石川島播磨重工業の前身)の創業者になる平野富二が、築地に活版製造所を設けて活字を生み出すとともに印刷機械の製造と近代的な印刷を始め、その周辺に印刷、出版、新聞社などが集まったことから、印刷は築地、銀座の地場産業になっていきました。
明治17年(1884年)、同業組合準則の発令により、印刷の組合組織が形成され、その後、大正11年(1922年)7月、東京活版印刷業組合と東京石版印刷同業組合の合併により、東京印刷同業組合が結成され、昭和8年の東京印刷工業調整組合を経て、戦後昭和33年(1958年)4月、現在の東京都印刷工業組合になりました。
中央区には、京橋支部と日本橋支部の2支部がありますが、これは旧京橋区と日本橋区の名残です(両区統合による中央区誕生は昭和22年)。

おもな活動
これまでの活動は、印刷料金適正化に向けたPR活動、構造改善業種への指定獲得運動、印刷用紙値上げ反対運動、電子化運動など。
常時手掛け行なっている活動は、各種研修会、講演会の開催、ビジネスの最新情報の共有、快適な職場づくりの推進運動、業務の相互支援+共創ネットづくり。

{{organization_1.catch}}
事務局:{{organization_1.address}} {{organization_1.secretariat}} 代表者:{{organization_1.representative}}
TEL:{{organization_1.tel}} FAX:{{organization_1.fax}}
{{organization_1.mail ? "Mail:" + organization_1.mail : ""}}
加盟団体紹介 社名:{{data.company}} HPへ
代表者:{{data.representative}}

■一般社団法人 日本橋なに河岸

創 立:大正12年5月
事務局:中央区日本橋茅場町2-4-10
電 話:03-3669-4941
FAX:03-3669-4914
ホームページ:http://www.nihonbashi.gr.jp
メール:webmaster@nihonbashi.gr.jp

プロフィール
印刷発祥の地、中央区において、京橋支部とともに東京都印刷工業組合の中心的な役割をになって活動してきました。
また日本橋支部は、歴代支部長の基本方針として、支部組合員全員参加の機会をできるだけ多く持つようにしており、総会をはじめ新年会、研修バス旅行、海外印刷事情視察、従業員表彰、各種講習会の開催などでそれを実践、多くの成果を上げています。

沿革
東京都印刷工業組合創立の翌年、大正12年(1923年)5月に支部制が設けられたのを受け、すぐに日本橋支部結成。本部の評議員であった東京印刷の高橋金四郎氏が初代日本橋支部長に就任して支部活動がスタートしました。
支部結成後、関東大震災に遭遇しましたが、焼け跡から再起した組合員によって2年後の大正14年(1925年)に東京印刷協同組合の名簿が完成、そのときの日本橋支部の組合員は109社にのぼっていました。
以来、第2次世界大戦や戦後の混乱期を乗り切って現在に至っています。

おもな活動
各種セミナー、研修バス旅行、各種工場見学会、親睦旅行、海外印刷事情視察・研修、従業員表彰など。
全員参加をめざし、支部総会をはじめ、各種の集まりを企画しながら、支部組合員参加を呼びかけ、結束力を高めるような成果をあげています。

{{organization_2.catch}}
事務局:{{organization_2.address}} {{organization_2.secretariat}} 代表者:{{organization_2.representative}}
TEL:{{organization_2.tel}} FAX:{{organization_2.fax}}
{{organization_2.mail ? "Mail:" + organization_2.mail : ""}}
加盟団体紹介 社名:{{data.company}} HPへ
代表者:{{data.representative}}

■東京都製本工業組合 京橋支部

創 立:大正13年7月
連絡所:中央区湊3-16-3 伊藤ビル1階
電 話:03-3551-3783
FAX:03-3551-0114

プロフィール
京橋の製本は、東京製本同業組合(本部)が明治33年(1900年)に誕生して以来、製本発祥の地の組合員として、常に主導的な役割を担ってきました。本部の初代理事長も京橋地区の岡山儀正氏でした。
本部誕生当時の京橋地区は、新聞社、出版社が続々進出して活字文化の花を咲かせ、印刷業者、製本業者もそれにともない銀座を中心に急増、地場産業としての存在感を示すようになっていました。

沿革
京橋支部の結成は、関東大震災の翌年の大正13年(1924年)。東京製本同業組合には支部制度はなかったものの、震災による壊滅的打撃から再起するためにも支部組織の必要性が痛感され、京橋地区の有志が尽力し「京橋第一支部」を発足させたのが、支部制度の始まりにもなりました。この最初の支部が、京橋地区の業者だけでなく、全東京の製本業者が罹災後、組合に結集する母体的な役割を果たしたのです。
戦後の製本業界は、印刷業とともに発展し、昭和34年には製本工程の機械化が始まります。この頃、日曜運休制の実施運動も始まりました。当時の製本業のほとんどは月2回休み(第1第3日曜日)の状態でした。
昭和38年(1963年)5月、支部事務所を購入、京橋製本会館と名付けました。翌39年11月、東京製本健康保険組合が設立されました。支部の加入企業は56事業所でした。
昭和48年(1973年)、京橋製本協同組合が設立され、今日のように支部と協同組合が渾然一体の“運命共同体”の形になりました。昭和57年には京橋の2世たちが京橋製友会を発足させています。平成5年、京橋支部創立70周年記念式典(箱崎ロイヤルパークホテルにて)。
平成9年、中央区と区内の代表的な地場産業の印刷、製本の4団体が、災害時の対策支援を図るための「災害時における応急対策活動支援に関する協定」を締結しました。

中央区と業界
京橋支部は次の5つの地区会により構成されています。
第1地区(湊製本一二三会、湊、佃、月島):湊地区は大正時代から印刷、製本業の多い町です。
第2地区(八之部製本共栄会、新川1・2丁目):かつて製本機械を無尽で購入する方式を取り入れ、支部全般で好評を得ました。
第3地区(入船製友会、入船1~3丁目):後継者、従業員不足、取引先の移転、土地問題などにより会員が減っていますが、2世・3世会員により若返り、活気が戻りつつあります。
第4地区(八町堀親和会、八丁堀):関東大震災後、職人の町に。職業的には材木商、印刷業、製本業が地場産業化してきました。東京駅八重洲口開設後、銀行、商社なども進出。
第5地区(京南和合会、新富、築地、小田原、銀座区):時代の移り変わり、立地条件、後継者問題、得意先の移転などにより会員が大幅に減少しています。

{{organization_3.catch}}
事務局:{{organization_3.address}} {{organization_3.secretariat}} 代表者:{{organization_3.representative}}
TEL:{{organization_3.tel}} FAX:{{organization_3.fax}}
{{organization_3.mail ? "Mail:" + organization_3.mail : ""}}
加盟団体紹介 社名:{{data.company}} HPへ
代表者:{{data.representative}}

■製本・日本橋

創 立:昭和3年9月
連絡所:中央区日本橋人形町2-34-6
電 話:03-3666-2051
FAX:03-3666-4845

プロフィール
かつての行政区分の関係により、中央区には京橋と日本橋の2つの製本支部があります。しかし製本の場合、会員は京橋支部にかたより、日本橋支部には今はわずかな業者が残っているだけです。
製本だけを生業としてところは2、3社程度で、ほかはビルを建ててテナントを入れて製本をかろうじて残しているだけのところなどです。
印刷・製本を地場産業として育ててきた多数の業者は、転業や転出により日本橋地区から姿を消し、火種だけを守るという状態になっています。

沿革
昭和3年(1928年)9月、当時の深川区新大橋の「安宅クラブ」で創立総会を開催、支部を結成しました。
初代の支部長を10年務めた武下由次郎氏は、昭和13年に板橋区志村に転出しました。日本橋製本の区外への転出の先駆け、源流といえるかもしれません。
戦後、占領下における本部組合機構のあわただしい変革のなか、昭和22年(1947年)に支部長を選任し、新体制で再スタートを切りました。
また、昭和27年2月、安斉勝正支部顧問の提案によって「ゑびす会」を結成。業界の発展のためにもいっそうの親睦が必要、そのために苦は楽の種ということわざに従って、何事も「ゑびす」顔でいきましょうと、年1回の家族同伴旅行の会が結成され、毎月積立を行なって温泉旅行に出かけました。
昭和43年(1968年)から支部長を務めた宝田陽一氏は、のちに工団連の会長にも選出され、大任を果たしました(昭和56年~63年)。
日本橋の製本は、減少の一途をたどるなかで支部長空席の時期さえ何年かありました。今は支部の歴史を守る態勢にはなっています。

{{organization_4.catch}}
事務局:{{organization_4.address}} {{organization_4.secretariat}} 代表者:{{organization_4.representative}}
TEL:{{organization_4.tel}} FAX:{{organization_4.fax}}
{{organization_4.mail ? "Mail:" + organization_4.mail : ""}}
加盟団体紹介 社名:{{data.company}} HPへ
代表者:{{data.representative}}

創 立:大正10年8月8日
連絡所:中央区勝どき4-6-2 (株)巴コーポレーション 斎藤
電 話:03-5560-6511
FAX:03-5560-6591

プロフィール
月島は明治時代に埋め立てられ、国策に沿って一大工業地帯として発展してきました。
その成長過程で結成され、地域の工業の発展に力を注ぎ、戦後は月島工業地帯の変貌の歴史を見つめ、それを反映させてきたのも、この月島工業会です。
戦前は、鉄鋼、機械、金属などの工業家(戦前よく使われた言葉のようです)の集まりでしたが、戦後は、機械、鉄、金物から食品までのさまざまな製造業が集う団体になりました。
地域は、月島、佃、勝どき。規模は、従業員が1000名を超える大企業から、数名の企業まで、さまざまです。

沿革
月島工業会の創立は大正10年(1921年)8月。石川島、佃島、新佃島、向島に工場または事務所を有する工業家が、共存共栄と産業の興隆・地域工業の発展に寄与することを目的に結成しました。
歴代会長には、石川島播磨重工業や月島機械といった大企業のトップがついて、地域の工業の発展や親睦のためにリーダーシップを発揮してきました。
石川島播磨重工業では、元経団連会長で第二臨調会長としても活躍された土光敏夫氏が昭和39年まで14年間会長でした。同社は昭和63年3月に移転により退会、その時は元日本商工会議所会頭の稲葉興作氏が名誉会長でした。

特色
会員相互の利害を抜きにした情報交換。
協同組合ではない親睦団体であるため、政府機関への報告義務がなく、また会長以下、役員のほとんどに変更がない親密な親睦団体です。

会のスローガン
月島地区の発展に尽力し、ひいては日本経済の発展に貢献。会員相互の連携を密に、切磋琢磨。

{{organization_5.catch}}
事務局:{{organization_5.address}} {{organization_5.secretariat}} 代表者:{{organization_5.representative}}
TEL:{{organization_5.tel}} FAX:{{organization_5.fax}}
{{organization_5.mail ? "Mail:" + organization_5.mail : ""}}
加盟団体紹介 社名:{{data.company}} HPへ 担当者:{{data.representative}}

■特定非営利活動法人 地域の防災と町づくりを研究する会

会社法人番号:0199-05-012798
創 立:平成20年4月2日
連絡所:中央区日本橋室町4-3-12
電 話:03-3861-9500
FAX:03-3861-9509
担当者:持永 喜夫

プロフィール
中央区内に本店、支店、営業所を置く総合建設業の会社により構成されているNPO法人です。
区内業者の技術力の向上や親睦を図るために7~8社で結成して以来、年々業者数を増やしてきましたが、平成のバブル崩壊により、平成12年の40社を境に減少に転じ、現在の会員は36社になっています。

沿革
・昭和37年(1962年)築地会(会の前身)結成
・昭和44年(1969年)中央建設協力会に改組
・平成4年(1992年)中央建設業協会に改称
・平成20年(2008年)NPO法人 地域の防災と町づくりを研究する会を設立
この法人は、中央区区民その他一般市民の安全と災害に伴う防災の対策等やそれに伴う町づくりを研究し、それに関連する情報等を一般市民及び公共機関に提供する事業や、建物等構造物の豊富な知識を生かし、安全な施設等の管理運営業務の事業を立ち上げ、一般市民の気持ちを大事にしたサービスを心がけ、安全な社会の実現に寄与することを目的とする。
上記をふまえ、本研究会は、江戸文化400年の歴史をひもとき、世界史上類をみないエコ社会を作り上げた原点を見直し、地球に優しい町づくりを主な研究テーマとし、防災活動、安全活動、ボランティア活動等の啓蒙及び実行を心がけて区民の目線に立った町づくりを目指すことと、建設技術のノウハウを生かした公共施設等の維持管理業務を行うことを目的として設立いたしました。

会のスローガン
安全と人に優しい町作り

キャッチフレーズ
中央に未来を築く 地域の防災と町づくりを研究する会